ギター講師・高村尚平|挫折から始まった「ギターの処方箋TAKAMURA」誕生秘話

マイクを持った男性(ギターの処方箋TAKAMURA代表の高村尚平)がスピーチをしている画像

ギターの処方箋TAKAMURA代表 高村尚平 公式プロフィール

ギターの処方箋TAKAMURA 高村尚平

はじめに:高村尚平というギタリスト

こんにちは!
湘南・藤沢でギター教室「ギターの処方箋TAKAMURA」を運営しています、高村尚平です。

突然ですが、あなたにとって「ギター」とはどんな存在ですか?

憧れのアーティストのように弾きこなしてみたい、一生モノのかっこいい趣味にしたい、あるいは、昔一度手にしたけれど、部屋の隅で静かに眠ってしまっている…ちょっと胸が痛くなる存在でしょうか?

人それぞれ、ギターに対する様々な想いがあると思います。

このページでは、普段のレッスンやブログではなかなか語りきれない、私、高村尚平という人間がどんな道のりを歩んでギタリストになり、そしてどんな想いで「ギターの処方箋」という場所を作ったのか。

その物語を、少しだけ深く、正直にお話しさせてください。

もしあなたが今、ギターの上達に悩んでいたり、これから始めたいけれど何から手をつけて良いか分からず、その一歩を踏み出せずにいるのなら。

きっと、この記事があなたの背中をそっと押す、小さなきっかけになると信じています。

私とギターの物語も、始まりはあなたと同じ。
ごく普通の、音楽にただただ憧れるだけの、ひとりの少年だったのですから。

私がギターの虜になった、あの日の衝動

私が初めて「バンド」というものに心を奪われたのは、中学1年生の時でした。
それはもう、今でも鮮明に思い出せるほどの、まるで雷に打たれたかのような衝撃的な出会いだったんです。

友人から借りた一枚のCD。
少しダークで、尖ったデザインのジャケット。それが、伝説のロックバンド『BOØWY』の1stアルバム『MORAL』でした。

高村少年が最初に影響を受けたのはBOOWYのMORALというアルバムでした
バンドサウンドで最も最初に影響を受けたアルバム「MORAL」

再生した瞬間、スピーカーから飛び出してきたのは、それまで聴いたこともないような、鋭く攻撃的なギターサウンド。布袋寅泰さんが奏でるリフに、「なんだこれは!?」と一瞬で心を鷲掴みにされてしまったんです。

その衝撃は、学校生活の中にもありました。

放課後、体育館の近くを通りかかると、中から「ズンズン…」と地鳴りのような重低音と、歪んだギターの音が漏れ聞こえてくる。文化祭の練習をしている先輩たちのバンドでした。

少しだけ開いていた体育館の重い扉。
その隙間からこっそり中を覗くと、薄暗いステージの上で、先輩たちが楽しそうに音をぶつけ合っている姿が見えたんです。

スポットライトもない、たった数人のための演奏。
でも、私の目には、その光景がどのアーティストのライブ映像よりも眩しく、最高に輝いて見えました。

そして、私の憧れを決定づけたのが、あのユーモラスな理科の先生でした。

忘れもしません、電磁石の原理を習う授業でのことです。
いつも冗談でクラスを盛り上げてくれる先生が、その日はおもむろに黒い大きなケースを教卓に置きました。

「君たちが今習っているこの原理と一緒でね、これも電気が音を大きくしてるんだよ」

そう言って先生がケースから取り出したのは、なんとピカピカの黒いエレキベースだったのです。

エレキベースを見せてくれた理科の先生
エレキベースを見せてくれた理科の先生にも感謝しています!

理科室にいるクラス全員が「へーっ!」とどよめく中、先生は小さなアンプに繋いだベースの弦を「ポーン」と一つ、鳴らしました。そのベースを構える姿というか、シルエットに、私の心は完全に打ち抜かれてしまいました。

CDから聴こえる憧れのバンドの音。体育館から漏れ聞こえる生の音。そして、理科室に響いたベースの一音。
いくつもの憧れが重なり、私の心は「ギターを弾きたい!」という衝動で、もうはち切れんばかりでした。

そして中学3年生の終わり頃、両親にお願いして、私はついに念願のエレキギターを手にします。

…しかし。現実は、そう甘くはありませんでした。

ドキドキしながら教則本を開いてみるものの、そこに書かれていることが全く理解できない。もちろん弦楽器を触ったことのない指は言うことを聞かず、憧れていたBOØWYのフレーズなんて、1音たりとも弾ける気がしません。

「あれ…?ギターって、こんなに難しいものだったのか…?」

輝いて見えたはずの世界はあっという間に色褪せ、私の最初の挑戦は、あまりにもあっけない「挫折」に終わりました。弾かれなくなったギターは、ただ黙って壁に立てかけられるのを待つだけ…

そんな時、母が「せっかくやるなら習ってみたら?」と声をかけてくれたのが転機でした。

向かったのは、他でもない、このギターを購入した楽器店。その教室で待っていたのが、私の恩師となる先生でした。

いかにも「ミュージシャン」といった風貌の先生で、中学生の私には、正直、最初の印象は「ちょっと怖そう…」でした(笑)。

ところが、レッスンが始まった瞬間に、その印象は180度覆されます。

先生のレッスンは、まるで魔法のようでした。
「こうすれば弾ける」といった難しい理屈は一切なく、何の疑問も抱かせないほど自然なステップで、私を導いてくれたのです。ただ言われた通りに楽しんでギターを弾いているだけで、気づけば1曲、また1曲とレパートリーが増えていきました。

多くの人が「最初の壁」だと言う、あのFコード。
後になって周りの友人から「Fが難しくて挫折した」という話を何度も聞きましたが、正直、私にはその感覚が全くありませんでした。

難しいと意識する前に、先生が用意してくれたステップを夢中でこなしているうちに、いつの間にか、ごく自然に押さえられるようになっていたのです。

先生の素晴らしい指導のおかげで、私のギターは面白いように上達していきました。そして気づけば、高校1年生になる頃には、クラスで一番うまいと言われるくらいの腕前になっていたんです。

その後はスタジオに入り浸って仲間とバンド練習をしたり、ライブハウスでライブをしたり…と青春時代の全てをギターと音楽に注ぎ込んでいきました

もし、あの時あの先生に出会っていなければ、間違いなく今の私はいません。
「正しいステップを踏めば、生徒に『難しい』と感じさせることなく、自然に上達へ導くことができる」

この衝撃的な原体験こそが、後に私が「ギターの処方箋」を始めることになる、すべての原点であり、私のレッスンの核となっているのです。

音楽と共に駆け抜けた青春

恩師のおかげで「ギターが弾ける」という確かな自信と、何物にも代えがたい「楽しさ」を手に入れた私は、高校・大学と、まさに水を得た魚のように音楽の世界にのめり込んでいきました。

放課後の練習スタジオ、文化祭のざわめき、ライブハウスの薄暗い照明。
思い出すのは、いつだってギターの音色と、笑い合う仲間たちの顔です。

もちろん、最初は憧れのバンドのコピーからでした。
仲間と「せーの」で音を合わせた瞬間の、あの鳥肌が立つような一体感。練習を重ねた曲が、ライブでお客さんの前で一つの音楽となって響いた時の、あの高揚感。

バンドの魅力に、私はすっかり取り憑かれていました。

そして、活動の幅が広がるにつれて、新たな世界の扉が開きます。
それが、譜面も決め事もない「ジャムセッション」という即興演奏の世界でした。

初対面の人と、目と耳と、そしてギターの音だけで会話するスリル。
相手の出すフレーズに必死に耳を澄まし、自分のフレーズで応える。言葉はなくても、音楽で心が通じ合ったと感じる瞬間の喜びは、バンドとはまた違った格別なものでした。

この頃から、私のギターへの向き合い方も少しずつ変化していきます。

ただ「弾ける」だけでは、もう満足できなくなっていたのです。

「どうすれば、もっと良い音が出せるんだろう?」
「あのギタリストの、心を揺さぶる音の秘密は何なんだろう?」

まるで研究者のように、アンプのつまみをミリ単位で調整したり、けして安くはないエフェクターを、アルバイトをして貯めた給料で購入してはいくつも試したり。その探求心は、止まることはありませんでした。

いつしか仲間からは「ギターの音のことは、高村に任せれば大丈夫」と、バンドのサウンドメイキングにおいて、頼りにされる存在になっていました。

好きだからこそ、もっと深く知りたい。もっとカッコいい音が出したい。
その純粋な探求心が、私を「ギターを弾く少年」から、少しずつ「ギタリスト」へと成長させてくれたのです。

音楽に浸り、ギターと共に過ごした毎日。
その中で芽生えた「この楽しさ、この興奮を、一生続けていきたい」という強い想い。

それがプロの道を意識するようになるのに、そう時間はかかりませんでした。

しかし、当時の私はまだ知りませんでした。
「好き」や「情熱」だけでは決して越えられないプロの世界の厳しさと、そこに、私の人生を大きく変えることになる新たな「転機」が待っていることを。

プロの道へ、そして訪れた大きな「転機」

「ギターで生きていく」

その想いは日に日に強くなり、大学卒業後も、私は仲間と組んだバンドで活動に明け暮れていました。デビューを目指して頑張っていましたが、なかなか日の目を見ることはできず…。

バンドという夢に一度は破れた私。
それでも、「ギターだけは辞められない」という想いを胸に、バンドとしてではなく、一人のギタリストとしてプロの道を歩み始めたのが、20代半ばのことでした。

しかし、そこで待っていたのは、輝かしいステージではなく、さらに厳しい現実でした。

レコーディングやステージサポートなど、舞い込んでくるのは小さな仕事ばかり。有名な教室のギター講師をしたこともありましたが、生徒が思ったように集まらず、専業で食べていくには程遠い状態。それだけではなく、プロの世界は、言うまでもなく才能の海です。

自分より遥かにギターが上手い人、生まれながらにして作曲センスに溢れる人…。
そんな途方もない才能に囲まれる中で、私は自分の存在価値を見失いかけていました。正直、そんな日々に嫌気がさしていたのも事実です。

「このままギタリストとして、本当にやっていけるのだろうか…?」

そんな焦りと諦めにも似た感情を抱え、キャリアに悩んでいた時、縁あってギター機材メーカーに社員として入社することになりました。ギタリストとしての活動の他に、もう一つの確かなキャリアの軸足を作ることにしたのです。

ここでの仕事の一つが、全国の楽器店や大規模なギターショーを回り、ギターを弾きながら自社製品を解説する「ギタークリニック」でした。

そこは、私が学生時代から培ってきた「音作りの知識」と「演奏技術」が、面白いように活かせる場所でした。
そして、数えきれないほどのクリニックをこなし、多くのお客様と対話する中で、私の「トーク力」…つまり、難しいことを、誰にでも分かりやすく、楽しく伝える力が急速に磨かれていったのです。

そして、このメーカー在籍時代に、私の代名詞ともなるセミナーが誕生します。
それが「エレキギターの音作りを分かりやすく解説するセミナー」でした。

このセミナーが、私の予想を遥かに超える反響を呼んだのです。
ありがたいことに、参加者の方々から「今までで一番分かりやすかった」「長年の疑問がやっと解けた」という声を多数いただき、その評判が口コミで広がっていきました。

気づけば、全国各地の楽器店から「ぜひうちでもセミナーをやってほしい」と、メーカーに直接オファーが殺到する事態に。
同時に、私のサウンドメイキング能力を評価してくださる方も増え、有名ギタリストを含む、数多くのメジャーアーティストの「音作り」をサポートさせていただく機会にも恵まれました。

ギタリストとしての挫折から始まった私のプロ人生は、図らずもメーカー社員として、「音作りの専門家」という確固たるポジションを築くことで、大きく花開いたのです。

しかし、全国を飛び回り、多くのギタリストと交流する中で、私の心の中には、また新たな想いが芽生え始めていました。

それは、中学時代に出会った、あの恩師の姿と重なるものでした。

「ギターの処方箋」が生まれた理由

ギター機材メーカーの社員として、セミナー講師として全国を飛び回る日々。多い時には立ち見がでるほどの成功は、本当にありがたく、充実したものでした。

しかし、私の心を本当に揺さぶったのは、華やかなステージの上ではなく、セミナーが終わった後、参加者の皆さんと直接言葉を交わす時間でした。

そこで私が受けた質問の多くは、意外にも音作りのことではありませんでした。
皆さんが本当に知りたがっていたのは、もっと根本的なこと。

「高村さんは、どうしてそんなにうまく弾けるんですか?」

その純粋な問いに、私は自分が持つ知識や経験を総動員して、具体的な練習法や上達へのステップをお伝えしました。すると、多くの方が目を輝かせて、こうおっしゃるのです。

「面白い!私のギターの先生は、そんなこと一つも教えてくれませんでした」
「なるほど…。最初からこういう風に教わっていれば、挫折せずに済んだかもしれないのに…」

この言葉を、私は一度や二度ではなく、北は北海道から南は沖縄まで、文字通り、全国各地で耳にすることになります。

その時、私は確信しました。
これは、一部の人の特殊な悩みではない。世の中には、かつての私のように「正しい指導者」に巡り会えず、才能や情熱があるにも関わらず、ただ伸び悩んでいる人があまりにも多いのだ、と。

「何か、私にできることはないだろうか?」

この強い想いに突き動かされ、2011年に立ち上げたのが、ブログ『ギターの処方箋』でした。

なぜ、「処方箋」という名前なのか。
それは、間違った練習法という「誤った治療」に苦しんでいる人たちに、一人ひとりの症状に合わせた、本当に効果のある「正しい処方箋」を届けたい。その一心からでした。

このブログが、私の人生を再び大きく動かすことになります。

ありがたいことに、ブログは多くの悩めるギタリストの皆さんから共感をいただき、私の元には、たくさんのメッセージが届くようになりました。そのほとんどが、こんな内容でした。

「ブログ、いつも読んでいます。ぜひ、直接レッスンしていただけませんか?」

その声を聞くたびに、私の脳裏に蘇るのは、中学時代のあの光景でした。
挫折していた私を、まるで魔法のように救ってくれた、あの恩師の姿。

「正しいステップを踏めば、ギターは必ず弾けるようになる」

あの時の衝撃的な感動を、今度は私が、悩んでいる人たちに直接届けたい。私を救ってくれた恩師のように、今度は私が誰かの「先生」になる番だ。

皆さんの熱い声に背中を押され、私の決意は固まりました。
こうして、ブログの読者やセミナーの受講者の皆さんからのラブコールを受け、ギター教室「ギターの処方箋TAKAMURA」は誕生したのです。

ギターの処方箋TAKAMURAの集合写真
今も毎日多くの生徒さんとギターの演奏を楽しんでいます!

開校から現在までに、述べ400名以上の方々と時間を共にしてきました。神奈川県藤沢市にある教室には、有難いことに、神奈川、東京だけでなく、群馬県、埼玉県、千葉県、長野県、静岡県、山梨県といった遠方から沢山の生徒さんに通っていただいています。中には、プロとして羽ばたいていった生徒さんもいます。

では、その私が、何よりも大切にしているレッスンの「核」とは何なのか。
それは、やはりあの中学時代の原体験へと繋がっていくのです。

私がレッスンで一番大切にしていること

全国セミナーで出会った、多くの悩めるギタリストたち。
そして、挫折させることなく私を導いてくださった、中学時代からの恩師のレッスン。

これらの経験を通して、私がたどり着いたレッスンの核。それは、たった一つのシンプルな理念に集約されます。

「正しい内容と正しいステップを、笑顔溢れる環境で」

これこそが、「ギターの処方箋TAKAMURA」のすべてです。

私は、ギターの上達というのは「家を建てること」によく似ていると考えています。

イメージしてみてください。
もしあなたが家を建てるとして、いきなり柱を立てたり、屋根を乗せたりはしませんよね。まずはじめに、最も時間をかけて、丁寧で頑丈な「基礎工事」を行うはずです。

ギターも全く同じです。
この基礎工事を疎かにして、いきなり派手なテクニックや難しいコードに手を出してしまうと、最初は良くても、必ずどこかで伸び悩み、家全体が傾いてしまう。多くの人が、それを「挫折」と呼びます。

私のレッスンでは、この「基礎工事」を何よりも大切にしています。

しかし、それは決して退屈な反復練習を強いる、ということではありません。
思い出してください。私を救ってくれた恩師は、「難しい」と意識させることなく、気づけば弾けるように導いてくれました。

だからこそ、私は「笑顔溢れる環境」にこだわるのです。
いくら基礎が重要でも、楽しくなければ意味がない。逆に言えば、「楽しい!」と感じることなら、人は自然と続けられるものです。

私の役目は、生徒さん一人ひとりの「設計図」に合わせて、最適な「基礎工事」のプラン…つまり「正しいステップ」を用意し、笑顔で楽しみながら、いつの間にか頑丈な土台が完成している。そんなレッスンを提供することです。

そして、この理念を実現するのに、これ以上の場所はないと確信して選んだのが、私の地元でもある、この「湘南・藤沢」でした。

自分が育った愛着ある土地であることはもちろん、江の島や海が近くにある、この開放的な街の空気の中でギターを学ぶ時間は、きっと特別なものになるはず。
窮屈な練習室ではなく、心からリラックスできる環境で、ギターを弾く喜びを感じてほしい。そんな想も込めています。

私のレッスンは、単に技術を教える場ではありません。
かつての私がそうだったように、ギターという最高の楽器を通じて、あなたの毎日がもっと豊かで、もっと笑顔になれる。
そのお手伝いをさせていただく場所なのです。

そして今、この藤沢で培ったレッスンを、もっと多くの人に届けたいという想いが、新たな挑戦へと私を突き動かしています。

その一つが、私の理念に共感してくれた素晴らしい仲間たちと共に歩む、教室の全国展開。北は北海道から、南は九州まで、あなたの街の近くにも「ギターの処方箋」があるかもしれません。


そしてもう一つが、「自分のペースでじっくり学びたい」「近くに通える教室がない」という多くの声に応えるために始めたオンライン講座です。この講座には今、特に力を注いでおり、日本中どこにいても、誰もが「ギターの処方箋」のレッスンを受けられる環境作りに奮闘しています。

おわりに:あなたのギターライフに、私にできること

ここまで、私の長い道のりにお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

BOØWYに衝撃を受けたあの中学生の頃から、一度はギターを挫折したこと、素晴らしい恩師との出会い、プロの世界での葛藤、そして「ギターの処方箋」の誕生まで。

振り返ってみれば、決して平坦な道のりではありませんでした。
特別な才能があったわけでも、常に順風満帆だったわけでもありません。

ごく普通の少年が、壁にぶつかり、悩み、それでも人との出会いに恵まれたおかげで、今ここに立っている。
だからこそ、私は、今まさにギターと向き合い、悩んでいるあなたの気持ちが、痛いほどよく分かります。

もしあなたが、これからギターを始めようとしているのなら。
始めるのに、遅すぎるということは絶対にありません。大切なのは、遠回りをしないための「最初の一歩」を、正しく踏み出すことです。

もしあなたが、今まさに上達の壁にぶつかっているのなら。
その悩みは、決してあなた一人のものではありません。かつての私がそうだったように、正しい道筋と、ほんの少しのきっかけさえあれば、その壁は必ず乗りこえられます。

私を救ってくれた恩師が、私の人生の道標となってくれたように。
今度は「ギターの処方箋TAKAMURA」が、あなたのための道標になります。

文字や言葉だけでは伝えきれない部分は、YouTubeチャンネルでも詳しく解説していますので、ぜひ覗いてみてくださいね。

ギターの処方箋TAKAMURA 公式YouTubeチャンネルはこちら

あなたのギターライフが、今日よりもっと豊かで、もっと輝くものになることを、心から願っています。
そして、いつかどこかで、あなたと一緒に音を奏でられる日が来ることを、楽しみにしています。


ギターの処方箋TAKAMURA
代表 高村尚平

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